2020年最初の特集は、福岡最新バー事情です。
王道といえるオーセンティックバーをはじめ、今注目のミクソロジーやミュージック、フレアバー、気鋭女性バーテンダーがいる店など、進化を続ける福岡のバーを取材しました。
静かにグラスを傾ける時間は、大人だけに許された至福のひととき―。
今年は新しいバーライフ、はじめてみませんか?
FUKUOKA BAR HISTORY
福岡のバーの歴史
福岡のバーは、昭和30年代以降、中洲を中心にして発展してきたといわれ、
その間多くの名バーテンダー、名店が独自のバー文化をつくってきました。
中洲で30年以上働くベテタンバーテンダーに福岡のバーの歴史をうかがいました。
取材・文/編集部 イラスト/ムツロマサコ
九州一の繁華街・中洲を中心にして、福岡には数えきれないほどのバーがある。この街のバーにはどのような歴史があり、発展してきたのか。バーテンダーとして中洲で30年以上働き、その変遷を知る「バー・ハートストリングス」のマスターにして、日本バーテンダー協会九州統括本部幹事長の橋本浩二さんに話をうかがった。
「私が諸先輩方から聞いてきた話によると、現在の福岡のバーの源流は昭和30年代の中洲にあると思います。当時『サントリーバー』が全国展開をしていて、福岡初のサントリーバーを任されたのが佐々木永助さんという伝説的なバーテンダーでした。戦後すぐから進駐軍向けのクラブやバーはあったようですが、庶民向けのバーとして営業を始めたのはここが最初でしょうね」
「サントリーバー」は当時の主力ウイスキーだった「ホワイト」や「角」のハイボールを飲ませる酒場としてサラリーマンから絶大な人気を集め、最盛期には全国に千軒以上あったといわれる。
「佐々木さんの弟子だったのが私の師匠である七島さんや『カチューシャ』の鎌田さんで、『バーいしばし』の石橋さんも同じ世代ですね。当時バーテンダーは人気職業ランキングのベスト10に入るほど花形職業の一つで、チーフともなるとサラリーマンの3倍くらい給料を貰っていたそうです」
その後「サントリーバー」から独立して佐々木氏が「バー街」、七島氏が「スタンドバー七島」を開業。「カチューシャ」「バーいしばし」などが続き、中洲における街場バーの第一世代となる。ところが昭和40年代に入ると、日本はイケイケドンドンの高度成長期に突入。社用族が会社の接待交際費を使って交遊する場として、時代は女性スタッフが接客するクラブやスナックの全盛となり、バーは次第に衰退していった。
「最初にバーがブームになった時に『これは儲かる』ということでいろんな人たちが参入してきて、相対的にバーテンダーの質が落ちたこともあったんだと思います。私が入社する前の『七島』も、スナックやクラブ業態として営業していた時代があったそうです」
多くの人が憧れる花形職業だったバーテンダーが、映画やドラマで〝バーテン〞という蔑称で呼ばれたのもこの頃で、バーはしばらく冬の時代に入ることになる。
続きは本誌で
最新試し読み記事