最近、ニュースでもよく聞くイノシシやシカの被害。実は、福岡の農業被害が全国トップクラスだと知っていましたか?捕獲する猟師、解体処理施設、料理人…全員が一丸となって安全に美味しく料理される「ジビエ」。お家で、お店で、この機会に味わってみてください。
実りの秋から、九州も寒の季節へ。野生動物たちは冬に備えて栄養を貯めこもうと、食欲も旺盛になる。その被害対策の意味でも、狩猟が解禁となった。
全国各地で野生鳥獣被害は深刻だが、福岡県も例外ではなく、被害額は何と全国2位(ソワニエVol.46のP52参照)。そんな状況に立ち向かうのが、猟友会などのハンターたちである。
野村昌弘さんは、博多の櫛田神社にも近い御供所町生まれ。山笠の勢水を浴びて育った生粋の街っ子の、趣味が猟とはいかなる経緯か。
「小さい頃からモデルガンが好きでね。成人して建築設計の仕事に就いた頃、店舗改装を頼まれた友人からお礼にエアガンをもらって本格的に。銃砲所持の免許も取って、28歳からは散弾銃も所持しました」
休日には糸島周辺に出かけ、カモなどの鳥類から次第にイノシシやシカにも照準を合わせ始める。師匠と呼べる人にも出会い、夏は罠猟、秋から春にかけては猟犬を連れて銃での捕獲に同行してきた。
「師匠が作ってくれたジビエ料理が絶品でした。血抜きや内臓処理など、野生動物を的確に料理するとこんなにうまいんだと実感した"原点"でしたね」
5~6年前からは師匠と離れて一人で行くようになった。
「猟というのは、自然が相手。まずは獲物の足跡を見つけるのが一番重要です。それも、古いものでは全くダメ。"昨夜から未明に通った"くらいの最新の気配を探すんです。ねぐら、エサ場、水飲み場など、彼らは転々と変えますからね。そんな生態を熟知観察することが基本です」
野村さんのやり方は、よく訓練した猟犬2頭とともに猟場に入り、足跡などで居場所を突き止めたら、犬を放す。彼らが獲物を追い詰めたところを銃で仕留める。犬と人間がいかにピッタリ息を合わせるかが、何より肝心である。
40代後半で、仕事にも転機があった。サラリーマンを辞め、実家の博多町屋を改装して、ジビエを売りにした居酒屋「博多奥堂」を始めたのである。
「料理人として、自分で獲ってきた食材を美味しくお客さんに食べてもらえたら、これ以上の幸せはないじゃないですか」
開店して12年。メニューも次第に広がり、今では厨房に息子さんが入って、オレンジジュースや塩麹などで肉を柔らかくする工夫なども重ねている。
飲食業をなりわいとする野村さんの、もう一つの顔が、国や県から要請される「有害鳥獣捕獲」の仕事である。一般的な狩猟は「趣味」の世界だが、これほど被害が深刻化した現在では、市町村が依頼する「有害鳥獣捕獲」や、環境省が県を通して発注する「認定鳥獣捕獲事業」の入札参加資格を野村さんは有しているのだ。
「ですが、昔に比べて"ハンティング"愛好家も減ってきました。銃を所持すると、各種検査や更新、医師の診断など面倒な事も多いし、お金もかかりますからね」
また、銃を所持して猟をするからには、常に技能を衰えさせない義務もある。太宰府にある「県立総合射撃場」で、定期的に射撃の練習にも通う。猟をする際の「誤射」などを絶対起こさないためである。
また、若いハンターたちを育成することも、野村さんたちの役割。最近も野村さんのグループに、若い女性を含む3人が仲間として加わり、猟や射撃練習にも同行するようになった。
こうして捕獲された鳥獣のその後は、現状どうなっているのだろう。最近「ジビエブーム」と喧伝されるが、実際にどれほど一般の食生活に浸透しているか。
「まだまだですよ。多くは埋設や焼却処理されて、肉としての消費はごくわずか。もったいないですよね。昔の日本人は大好物で、ありがたく食べてたんですから。自分としては、スーパーや普通の肉屋で、奥さんたちが"今夜は豚肉にしようか、イノシシにしようか……"と迷うくらいになるのが理想なんです」
今の時代、これほどに鳥獣害が増えてきた背景には、人間にも大いに責任がある。かつては野山をどんどん開発して田畑を作り、植林して自然動物を奥へ奥へと排除してきた。しかし、農林業の高齢化、食文化の変化などで、休耕田が増え、昔のような山芋掘りや山菜採り、木の実やタケノコやキノコ狩りも激減したことで、里山が荒れてイノシシやシカの生息場所が増えてしまったのだ。
この地球上のあらゆる生物の中で、とりあえず人間が最も支配的なポジションであるならば、さらには「加工・調理」という技術を持つ唯一の生き物なら、捕獲した命を最大限の誠意で美味しく食べることが、務めなのではないか。野村さんはそう信じて、このシーズンも愛犬とともに山に向かう。
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