フレンチの道へ没頭する活力源は、小さい頃に抱いた洋食への憧れ。
好き、楽しい。シンプルだけど一番大切な気持ちがある限り、
どれほど茨の道でも進むことができる。
取材・文/三浦翠 撮影/勝村祐紀
朝倉で竹工芸を担う職人の家に生まれた樋口勝史さん。三代目として家業を継ぐ気持ちが料理の方向へ傾いたきっかけは、小学校の社会科見学でデパートのレストラン街へ行った時のことだ。「祖父母や曽祖母と暮らしていたので、家では和食ばかりだったんです。デパートのショーケースで見たカレーとかスパゲッティに、それはもう心が躍って」と懐かしそうに目を細める。
高校生でアルバイトをしていた喫茶店で洋食のレシピを覚え、楽しくて仕方がなかった日々。竹工芸ではなく料理人の道へ――そう決めたのは18歳の時だった。「最初は地元の結婚式場で洋食を学び、分からないことがあれば本を買って調べていました」。やがて興味はフランス料理へとうつり、佐賀の「シャトー文雅」の門を叩く。
当時樋口さんは20歳過ぎ。青年の知識欲と上昇志向は強く、修業の傍ら休日になると東京の著名店へ直談判をしてはスタジエを続けていた。そんなある時、ふいに訪れた4連休。ちょうど有名なシェフが静岡で食事会を開くと聞きつけた樋口さん。何とかしてその厨房に入ってみたいと思い…。「当時の所持金は5万円くらいで、片道分の旅費しかなくて。だからヒッチハイクで静岡まで行くことにしたんです」。リュックに詰めたのは寝酒のバーボンと着替え、そして5万円。仕事を終えて佐賀を出発したのは深夜0時で、どうにか車を乗り継いで24時間後に静岡まで辿り着いた。
続きは本誌で
最新試し読み記事