Editor's Report編集部だより

2019.10.10

浜野雅文氏インタビュー

Special Interview 浜野雅文氏

福岡出身で活躍するシェフは多い。国内を問わず海外でも、だ。
フランス、ブルゴーニュにある村、サン=タムール=ベルヴュのミシュラン二つ星レストラン「オーキャトーズフェヴリエ サンタムール・ベルヴュ(Au 14 Février Saint-Amour-Bellevue)」オーナーシェフの浜野雅文さんもそのひとり。
恒例となった、ホテルニューオータニ博多での「凱旋フェア」を控えた浜野シェフにお話をうかがった。

取材・文/羽根則子 撮影/長友典人 取材協力/ホテルニューオータニ博多

生まれ育った糸島がルーツ

―生まれは糸島なんですね。

「はい。実家はトマト農家です。もっとも私が生まれ育った20年以上前の糸島は、今のような郊外型リゾートとして賑わう糸島とは違って、本当にのんびりとした田舎でした。そこで専門学校を卒業するまで過ごしました」

―そのあと、東京へ?

「そうです。専門学校時代、実はフランス料理をやろうとは思っていなかったんです、アルバイト先も中華料理店でしたし。
ある日、専門学校の特別講義に『ラ・ロシェル』の坂井宏行シェフがいらっしゃいました。衝撃でした。まるで懐石料理のように、フランス料理のお皿を構成するんです。この方の元で働きたい! その思いが一気に募り、講義の最後の質問コーナーで研修がしたい、と申し出ました。それがきっかけで、実際に『ラ・ロシェル』で働けるようになったんです」

―「ラ・ロシェル」での仕事について教えてください。

「坂井シェフがテレビ番組『料理の鉄人』に出演なさったのもこの頃で、『ラ・ロシェル』は新入社員だけで15人もいた大所帯でした。最初の半年はホール、そのあと調理場。そうしてようやく、前菜部門での仕事となりました。
とはいえ、はじめから調理を担当させてもらったわけではありません。まずは下ごしらえです。アスパラガスでいうと、ガクとり。皮をむくことはさせてもらえなかったのです。何かあれば『できます!』といえるように自宅でひたすら練習しました。
そして、料理をする人は何を求めているのかを観察し、何か言われる前に先回りしてサポートするようにもしました。そうしているうちに、仕事を任せてもらえるようになりました。
厨房はチームワークです。技術ももちろん大事ですが、限られた時間でスムーズにオペレーションできること、そのために周囲の動向を観察し、その場に応じて、動けることはとても大事です。『料理の鉄人』で坂井シェフのアシスタントに抜擢されたのも、こういう私の身のこなしを評価してくださったからだと思います」

フルーツで独自性を出す

―渡仏された理由は?

「一言でいうと、“自分の料理”を確立させるためです。これは苦い思い出がきっかけでした。
料理人となって何年か経った頃のことです。そのとき、技術にはある程度自信を持っていました。しかし、ある日『あなたのスペシャリテは何ですか?』と聞かれ、答えることができなかったんです。
それは、これを作りたい!というクリエイティビティやモチベーションの欠如を意味します。我ながらショックでしたね。
自分がやっているフランス料理を極めたい、本場で知りたい、そうして“自分の料理”を作りたい、そう願ってのことでした」

―フランスはどちらへいらしたんですか?

「リヨンです。リヨンはフランスの南東部に位置する美食の街として知られています。ここで、語学学校に通いながら、レストランで修業しました。
自分が求めていた答えを見つけたのは、修業先のレストラン『ラ・プラージュ』で、ヒラメ料理を口にしたときです。フランス料理の基本はフォンです。セオリーどおりですと、魚料理の場合は魚系のダシなどをベースに使います。
それをわかった上でいったん咀嚼し、既成概念を壊して独自のアプローチで、しかも素材のよさや味わいを損なうことなく、新鮮な驚きを与える。
天啓に思えました。『料理は自由でいいんだ!』と心が震えました。
その料理で使われていたのは、オレンジジュースとオリーブオイルだけで作ったソースでした」

―それが、今の浜野シェフの料理の特徴である、フルーツ使いの原点となったんですね。

「そうです。フルーツの可能性をその魚料理で知ったのです。
味、風味、香り、色、どれをとってもフルーツは多彩な広がりを料理に与えてくれます。
ですから、私の料理ではすべてのお皿で、フルーツを濃縮してソースに合わせたり、コンフィチュールをしのばせたりして使っています。
場合によっては、ほんのわずかな量でしかありません。しかし、微量とはいえ使うことで風味や香り、味わいがぐっと豊かに華やぎます。フルーツ自体を素材として前面に使うときは、その美しい色味で視覚のアクセントにもなるのは言うまでもありません」

ミシュランは目標だがゴールではない

―その後、フランスでシェフに?

「はい。リヨンで働いている時にお話をいただき、立ち上げから関わったのが、フランス中部にある村のレストラン『オーキャトーズフェヴリエ サン・ヴァランタン(Au 14 Février Saint-Valentin)』です。初代シェフが辞めるにあたって、2代目シェフとして就任しました」
最初にミシュランに一つ星として評価されたのはこのお店でしたね。
「2010年にミシュラン調査員がやって来て、2012年に一つ星をいただきました。
それまでミシュランは遠い存在でした。評価されるためには食べてもらわなければならないのですが、『オーキャトーズフェヴリエ サン・ヴァランタン(Au 14 Février Saint-Valentin)』はなんせ、田舎にある店です。都会の店ならいざ知らず、ミシュラン調査員がわざわざ来るとは思っていなかったんです。
それがちゃんと来てくれて、評価もしてくれた。
日々努力をして、きちんと仕事をし、店を高めていけば、田舎であろうとも、ちゃんと訪ねて来て評価をしてくれるんだな、と素直に嬉しかったですね」

―そして、自身がオーナーシェフを務める「オーキャトーズフェヴリエ サンタムール・ベルヴュ(Au 14 Février Saint-Amour-Bellevue)」ではミシュラン二つ星。快進撃は続きます。

『オーキャトーズフェヴリエ サン・ヴァランタン(Au 14 Février Saint-Valentin)』が一つ星として評価されてからは、はるか彼方の存在ではなく、身近な目標へとミシュランは変わりました。
一つ星と違って、二つ星としての評価を受ける店舗はぐっと数が減ります。二つ星はミシュランを意識し始めてから目標としていたので、これまで自分がやってきたことがちゃんと認められたようで、胸に去来するものがありました」

―浜野さんにとってミシュランとはどういった存在ですか。

「ミシュランは、日本でも知られているようにレストランガイドの権威です。ここで評価されること、まずは俎上そじょうに載せられることは店にとって大きな意味を持ちます。
しかし、実際に星として評価されるかどうかは、結果に過ぎません。
ミシュランが星をくださることは、自分が精力を傾けてきたことに対する、ご褒美のようなものであって、ミシュランの星がゴールではないからです。
ただ、より多くのお客さまに店の存在を知ってもらうのに、ミシュランの効果が大きいことは強く感じています。二つ星の評価を得てからは、世界から訪問してくれるお客さまが増えましたから」

インスピレーションは豊かな自然

―フルーツ使いもそうですが、お料理がとても独創的です。インスピレーションはどこから?

「これを言うと非常に驚かれるのですが、私はパリで修業をしたことがなければ、店舗を構えたいと考えたこともありません。
料理人はインスピレーションを得るためにさまざまにアンテナを張ります。美術鑑賞はその最たるものともいえるのですが、フランスに住んでいてパリに行く機会はあるものの、私はルーヴル美術館にすら行ったことがありません。
その代わり、私の心を惹きつけてやまないのは、田舎の風景です。木々の緑、季節ごとの花々、自然の造形、季節や時間による光の移ろい、どれも私を刺激します。
休みの日にはこれらの一瞬の美しさを納めるために、カメラ片手に出かけることが多いですね」

―自然がお好きなんですね。

「自然にふれていて心が落ち着くのは、私が糸島の出身だからでしょう。
食材についても同じことがいえます。
東京での修業時代、職場の仲間が『この野菜うまいな』と言って食べている輪にいたときのことです。
確かにおいしい、でも、糸島の食材もこれに負けない、ということに気づいたんです。
今、私がブルゴーニュにある人口たった560人ほどの村、サン=タムール=ベルヴュで店を構えているも、生まれ育った糸島の豊かな自然に面影を重ねているところが大きいです」

フランスで挑戦を続ける

―自身のお店を運営するにあたって、心がけていらっしゃることは何ですか?

「私が目指す店は、地元の人に愛される店です。田舎で店舗を構える私にとって、海外の方が増えたとはいえ、お客様の多くは圧倒的に地元のフランス人です。
店以外の場所ではフランス人に囲まれています。いわばアウェイで、外国人がフランス料理を提供するわけです。これはチャレンジしがいがあります。
店の入り口に、採れたての野菜のお裾分けがおいてあったりすることがあります。地域に溶け込むとはこういうことで、ちゃんと存在を認められたようで、しみじみありがたいですね」

―今後の目標を教えてください。

「現在、私のレストランスタッフは皆日本人です。
サービスなどを考えると、フランス人がいた方が断然スムーズです。実際にフランス人スタッフを雇っていた時期もありました。
しかし、どうにも細かい部分のニュアンスがうまく伝わらない。日本人同士であれば阿吽でわかり合えることがなかなか難しく、骨が折れるのです。
ですので、現在はなるべくストレスの少ない、日本人スタッフだけで運営しています。とはいえ、今度は別の、就労の問題など一筋縄でいかないことが山のようにあります。
日本人スタッフだけで、本場の地で、フランス料理に挑むのは至難の技。しかし、ミシュランでの星の評価が示したように、意志とそのための方法を考え抜いて実行すれば、できるのです。
前例がなかったからこそ、さらに道を切り拓いていきたいです」

「浜野雅文凱旋フェア2020」inホテルニューオータニ博多
浜野雅文シェフの料理が味わえる「凱旋フェア」が、ホテルニューオータニ博多で2020年1月10日(金)~13日(祝・月)4日間で開催されます。
今回で6回目を迎え、地元・福岡の食材をたっぷり使った料理の数々は、このフェアだけのオリジナルとあって、開催されるたびに大きな注目を集めています。

浜野雅文(はまのまさふみ)
1975年福岡県糸島市生まれ。
中村調理製菓専門学校(福岡市)を卒業後、「ラ・ロシェル」(東京)での修業を経て2004年渡仏。
2007年、「オーキャトーズフェヴリエ サン・ヴァランタン(Au 14 Février Saint-Valentin)」シェフに就任。
2013年、オーナーシェフとして「オーキャトーズフェヴリエ サンタムール・ベルヴュ(Au 14 Février Saint-Amour-Bellevue)」開店。2014年に一つ星、2018年に二つ星として評価された。

オーキャトーズフェヴリエ サンタムール・ベルヴュ
(Au 14 Février Saint-Amour-Bellevue)

住所:Le Plâtre Durand 71570 Saint-Amour-Bellevue, France
電話:+33-(0)3.85.37.11.45
https://www.sa-au14fevrier.com

取材を終えて

お目にかかってお話をうかがったのは、8月下旬。
ポロシャツ姿で現れた浜野雅文シェフは、若さもあるのでしょうが、少年のようなチャーミングさ。
取材が始まってもなごやかな雰囲気はそのまま、論理的で明確な言葉でもって話を展開されていたのが印象的でした。
皿の上で見られる技術だけでなく、料理人としてのあり方、外国で店を経営すること、多方面からざっくばらんにお話をしてくださいました。
たおやかな聡明さ、それは料理にも店舗にも反映され、ミシュランの評価にもつながったのでは、と感じたのでした。

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